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BAKU(バク)は、日本のロックバンド。1989年に結成され、1992年に解散。原宿におけるホコ天での活動を中心として人気を集め、3年という活動期間の中で当時のバンドブーム全盛期の主要バンドとなった〔。代表曲は「ぞうきん」「ピーターパン」など〔。 、1992年8月のメジャー・デビューから約2年で解散した。キャッチフレーズは『歌える歌』。 == 来歴 == 栃木県の高校3年生だった車谷浩司(ギター)、谷口宗一(ボーカル、一時期ベースも弾いていた)、加藤英幸(ドラムス)、阿部浩之(ベース)の4人によって1989年に結成。車谷・阿部と谷口・加藤のコンビが合体する形で結成された。初名はBATSUであり、アマチュアバンドコンテストの会場で改名してBAKUを名乗る。ロゴマークは胴体にハートマークが描かれたバクが用いられた。同年夏に原宿の歩行者天国(いわゆる「ホコ天」)に姿を現すと同時に人気を集め、同年12月にはインディーズからミニアルバム『ぼくたちだけの天国』をリリースする。 ところがメジャーデビューが決定した矢先の1990年1月26日、ベースの阿部が交通事故で急死(享年18)。雑誌の取材を受けて帰った後の出来事だった。バンドは一時活動停止に追い込まれるが、高校卒業後の同年6月にポリスターからミニアルバム『不思議なマジック』をリリース。歌詞カード裏面には阿部への感謝と弔いの言葉が記載された(ちなみにこのアルバムのレコーディングは阿部の存命中に行われている)。またその後、追悼曲「天までとどけ」、復活の意をこめた楽曲「復活のうた」などが作成され、ポリスターよりのセカンドアルバム『ふたつめのはじまり』に収録された。メジャーデビューすると同時にライブ活動を再開。翌1991年2月にリリースしたシングル「ぞうきん」がヒットし、一躍人気バンドの仲間入りを果たす。この曲はドラマ仕立てのミュージックビデオも製作された。 このほか、シングル「ピーターパン」でミュージックステーションへの出演も果たしている。ベースは元A-JARIの太田守がサポートメンバーとして参加した。「新メンバーを入れるぐらいなら解散する」とのメンバーの意向で、最後までベースは彼が務めた。 同年には『聞こえる 〜Power of Dreams〜』『DAY AFTER』と立て続けに2枚のアルバムをリリースするなど活発な活動を見せたが、軽いノリで女の子ウケするビートポップバンドを続けていくことにメンバーが不満を感じ始め、事務所やレコード会社との軋轢もあり解散が決定する。『DAY AFTER』の発表時の音楽雑誌にはそれをにおわせる記述がある。解散発表ライブ(予定外に発表してしまった)で車谷が「キレた!」のは有名な話。また、谷口は後談で「俺もやりたい音楽がみつかって、それが他のメンバーやスタッフと違っていた」と話している。この発言を反映するように、解散後の彼らはそのキャラクターを大きく変貌させていた。1992年夏に「バクは夢を食べ続けなければならない」とのメッセージを残し解散した。解散に際してはラジオで特番も組まれファンからメッセージが寄せられた。最後のアルバム『DAY AFTER』では、ひたすら軽快だった当初と全く音楽性が変わって、政治的なメッセージを含んだとも取れる歌詞の楽曲や破滅・死をも題材にした重い楽曲もあった。ジャケットで着用した衣装も初期とはまるで異なるものであった。唯一のインスト曲も、同アルバムには収録されている。解散決定後、ベストアルバムもリリースしている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「BAKU (アーティスト)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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